ここからコンテンツが始まります
ここからコンテンツが始まります
事業仕分け、脱官僚はほんとうにできるのか

民主党の事業仕分けがまた始まっています。
前回、民主党の事業仕分けで削減された無駄はわずか六千九百億円。
01年特殊法人改革では、三日間で1兆6千億円を三人の議員で削りました。
「脱官僚」を実現するには、一人ひとりの政治家の勇気と少しばかりの知力があればよいのです。


「財務省主計局主査の肩代わり」
民主党が標榜している「脱官僚」。その意気やよし。頑張ってもらいたいと思っています。
しかし、忘れてもらっては困るのは、このことは十数年前から自民党政権で取り組まれてきたことです。


たとえば、いまやマスコミ受けのよい渡辺喜美氏が安倍政権で取り組んでいた公務員制度改革は、
99年から03年に相次いで行った「政治指導に向けた行政改革」のやり残し部分だったのです。


脱官僚とは政治主導、そしてそれは結局、その場にいる政治家一人ひとりが決断するということなのです。
これまでその弊害を指摘されてきた官僚支配とは、政治家が官僚の説明を刷り込まれ手玉に取られていたという
だけのことで制度の問題ではありません。
その場にいる政治家が自分の責任通り決断すれば、それが脱官僚になるのです。


自民党政権時代はたしかに族議員という存在がありました。
族議員とは分かり易く言えば、各省庁の言いなりになる議員のことです。
その結果、官僚支配が相当部分に定着していたことは間違いない事実です。


しかし、立法権はそれぞれの議員にあるのですから、どの議員であれ官僚を抑え込んで主張を通すことは
できるのです。たとえば、私は初当選した翌年、明治以来の銀行法改正で、銀行経営の自主性を尊重するとする
条項を主張し、嫌がる大蔵省銀行局を抑え込んで第一条に盛り込ませました。


一年生議員でもできることです。族議員が多いのは勇気がない自信がない者が多いということです。
しかし、族議員の親玉というべき人が民主党にいて、その人物が民主党全体を支配していることも明らかになりました。


民主党政権は発足後間もなく、事業仕分けでは無駄な経費を削除すると鳴り物入りで始めました。
ところがその仕分けぶりにはがっかりしました。
話題になった八ツ場ダムに代表されるダム事業ばかりがクローズアップされましたが、他に無駄な公共工事は
なかったのか。


たとえば、数千億円の無駄遣いとされる北陸新幹線はどうなのか。
運行させても赤字になると国土交通省も言っているけれどもどうなのか。
八ツ場ダムより二桁大きい無駄遣いのはずだがどうなのか。


この他、「こども未来財団」などの公益法人やオリンピック強化費用など俎上に上げられたのは、
倭小な事業予算ばかりではないか。大きな無駄には手をつける勇気がなかったということなのか。


巷間言われているように、財務省の官僚が出した仕分けプランに乗って、おそらく自分で考えたり
資料を精査していないのではないか。
そのことは、公開された仕分けシーンを見ていると、ほとんどの仕分け人が用意されたペーパーを見ながら
発言していたことからもうかがえます。


従来各省の予算要求を査定して削減するのが財務省主計局の仕事。
主計局には各省担当の主計官がおり、その下に主査といわれる若手が数名います。


多分ペーパーを書いたのは主査でしょう。なんのことはない。
事業仕分けに携わった人たちは主査たちの身代わりになったに過ぎないのではないでしょうか。
酷なようですが、この程度の事業仕分けなら、例年、主計局の主査がやっている域を出ていません。


「その気になれば、出来ること。」
いまから九年前、自由民主党の行政改革本部長だった私は、与党を代表して特殊法人を改革する法律を
国会に提出していましたが、そこに小泉政権が誕生し、小泉首相から「法律だけではなく、
国民に分かり易い予算の削減をやって見せてくれ。額は1兆6千億円くらいでよい」と指示がでました。


「お安いご用です。」と引き受けて自民党行革本部長室に私を含め幹部3人の議員が財務省と担当省を呼んで
三日間で片付けました。3人の議員で1兆6千億円を三日で切れたのに、体育館を使って多人数がやった民主党は
6千9百億しかできない。なぜか。勇気と知力に欠けているからです。


一方、1兆6千億円削減のときにはマスコミには取りあげられませんでしたが、6千9百億の民主党のときは、
バンクーバーオリンピックのように大きく扱った点が大きな違いです。
自民党が改革をしたという記事は、絶対に紙面に載せないという不文律があるのです。


すべての事業には意義があります。すべて意義のある事業の中から自分の責任で優先順位をつける。
つまり、プライオリティをつける判断を政治家は迫られる。


なぜ、政治家が決断しなければならないのか。予算を有効に使うのか無駄に使うのかを国民が委ねているのは
政治家だからです。これまで、予算編成権を財務省が独り占めさせてきましたが、
財務省が本気で財政健全化すべきだと思っていたのなら、とっくの昔にできていたはずです。


ところが、財務官僚に独り占めさせた結果予算は際限なく膨張し、財政危機を招きました。
その責任は予算編成権を財務省に与えた政治家が問われるのであって、財務省の批判をしても
自分に返ってくるばかりなのではないでしょうか。


正直、民主党が脱官僚を掲げて政権の坐に就いたときは、期待をもって事業仕分けの成り行きを注視していました。
敵対する党に期待するのは少々奇異に受け止められるかもしれませんが、財政の健全化は与野党、
党派を超えた課題だからです。


政治家として期待するのは当然のことではないでしょうか。ところがその期待は空しくも外されてしまいました。
民主党政権はマスコミが作ったと言われています。自民党候補さえ落選させれば、
代わりに誰が議員になっても構わないという剥き出しの反自民キャンペーンだったように思えます。


だれがなっても構わないという、キャンペーンが誕生させた議員がほとんどなのですから
限界があったということではないでしょうか。

ここでコンテンツが終わります